日本の医療制度の問題点
最近、医療に関する記事が多く新聞の紙面に数多く見受けられます。なかには現状に対する厳しい批判的な記事もあります。日本の医療は国民皆保険制度の上に成り立っています。こうした仕組みは先進国の中でも優れた制度として多くの国より高く評価されています。しかしながら、制度上の問題もありこれが国民の批判を浴びている原因でもあります。
健康保険制度は国によって医療費を管理されていますので、ある意味、日本の医療は社会主義国の制度そのものであります。医療界には真の意味での市場主義的自由競争は存在しません。中央集権的な官僚によるコントロールがなされております。ただ困ったことに、官僚はどうも自らの利権確保に走る傾向があり、製薬会社や医療材料会社に天下りした厚生労働省のOBが自らの利潤のために保険制度を歪ませている弊害がでてきています。
最近、医療費が年々増大し、国の仕組みとしての保健医療費の負担が限界になりつつあります。
厚生労働省は、自らの失政の責任をすべて医療現場に転化していますが、実は医療費のうち医療従事者の取り分(=すなわち賃金)は世界水準でみても先進国の中では最低水準に抑えられています。医療費の内訳として、薬剤費、診療材料費、人件費などがあげられますが、そのうち薬剤費と診療材料費は先進国の中でも最高レベルになっています。これはとても不思議な現象です。
薬はグローバルな商品ですので、先進国においては、どの国でも同じメーカーの同じような製品が使われています。したがって通常は同じような価格になるはずです。しかし日本の製薬会社が開発した薬剤さえ、諸外国での販売価格より高く設定されています。これはひとえに日本の保険制度の矛盾で、薬剤は国が価格を決めるという不可解な制度に基づいて、厚生労働省が価格を決定しています。しかもこの基準がきわめて不透明で、どういった理由でこうした公定価格が決められているのか判然としません。何の証拠もありませんが、厚生労働省のOBが多数、製薬会社に天下りしている事実。そして多くのOBを受け入れている企業は一般的に有利な薬価を設定してもらっている事実より、数多くの噂が絶えません。医療機関への納入価格と公定価格の差を薬価差益といい、まるで医療機関が不当に儲けているかのように言われていますが、市場経済では不必要に高い定価で買うバカはいません。むしろ問題なのは、世界水準からみても不当に高く薬価が設定されている事実です。日本には製薬会社が何十社もありますが、これも世界水準からしてとても不思議な事実です。この数十年の間に倒産した医療機関は多数存在しますが、倒産した製薬会社は1社もありません。あの薬害エイズで悪名高いミドリ十字社ですら、名前を変えて存続しています。
もう一つのコストである診療材料ですが、これも国が償還価格という名で価格を決定しています。ペースメーカーを代表としますが、世界水準の3倍に設定されている商品の例は数知れません。医療費は確かに年々増額しています。しかしながら、診療報酬は年々切り下げられています。虫垂炎で手術をするとアメリカでは150万円くらいかかります。ヨーロッパでも100万くらいします。お隣の中国でも60万くらいします。ところが日本では45万円です。これでも医療費は高いのでしょうか?
もうおわかりのように、世界水準でみて、不当に高い薬剤と不当に高い診療材料を使用しながら、先進国の中でも低水準の医療費でやっていけるのか?なぜ世界でもトップレベルの医療を提供できるのか?
その答えは切りつめた人件費と貧弱な設備です。看護士の数は先進国の中では最低レベルです。お隣の韓国に比べても、患者一人あたりの看護士の数は決定的に少ないのです。医者の給料もアメリカの3分の1程度です。もちろん1ベッドあたりの医師数も半分程度です。これでは医療サービスが悪くなるのも当たり前です。もちろん多忙すぎて医療ミスも頻発します。これをすべて医療従事者が不注意であるとか、モラルの低下だと個人責任になすりつけている厚生労働省の巧妙な情報操作があります。
一般にホテル業界では稼働率が50%あれば優秀な経営と言われているそうです。しかし病院のベッドの稼働率はほとんど100%です。時には100%を超えます。それは1日で退院と入院があれば、そのベッドに関しては200%になるからです。90%を切ると入院を勧めるように勧告がでます。本来急患用にベッドに余裕を持たせるべきなのにそれすらできない現実が、患者のたらい回しの原因の一つになっています。
では、どのようにすれば日本の医療が良くなるのか?
まず、国による価格統制と止めるべきでしょう。もちろん、放漫経営をしてきた製薬会社の何社かは倒産するでしょう。もちろん、質の低い医療機関も倒産するでしょう。こうした不良産業を国民のなけなしの血税で維持する必要はありません。病院の治療費も自由価格制にすべきでしょう。例えば美容室でカットやカラーリングの価格が違うことに文句を言う客がいるのでしょうか?逆に言えばどこでも同じ価格が保証されていたら、はたして今ほど、個性化やサービスの差別化に努力を払うのでしょうか?医療も同じです。競争があればサービスの向上、質の向上、コストの低減に努力をするのです。競争のないところに進歩はありません。NTTの前身である電電公社の黒電話を憶えていますか?役所の論理ではあの程度の低質な機器しか作れないのです。それは昔のソビエト連邦や東ドイツの自動車が西側の自動車に対抗できないほど劣悪であったことと同じ現象です。
しかし、国による国民総医療保障は大切です。それには、疾病の治療に関して国が一定の保険金を直接、被保険者である患者に支払えば良いのです。例えば胃ガンになって治療を受けた場合、胃ガンの進行度に応じて、保険金を直接患者に払うようにします。
Aさんはステージ2の胃ガンになりました。国もしくは学会が決めた診断基準を満たしていると証明できたので、国に対してAさんは保険金の支払いを請求します。国はAさんに150万円支払います。そのお金で、どこの病院で治療を受けようかAさんは悩みます。H病院は設備も良くサービスが良いとの評判ですが料金が200万円とちょっと高い。一方、J病院は評判も悪くないし値段も150万円でいけそうです。K病院は安さが売りですが、サービスはあんまり良くないらしい。でも必要なところは手抜きしていないそうです。120万の値段も魅力です。L病院は80万でいけてお得ですが、評判もそれなりのようです。Aさんは癌なので、さんざん悩んだあげくH病院を選びました。さて、Aさんの奥さんは風邪をひきました。たいした病気でないので、K病院にしました。風邪もすぐ治り、しかも安くついてとても満足しています。
今のたとえ話は、料亭の料理を食べるか、町の食堂で食べるか、マクドで済ますか、コンビニの弁当でいくか、客がいろんな状況でいろんな選択をしているのと同じ話です。どうして医療には選択肢が用意されていないのでしょうか?昔の電電公社の時代も客には電話機を選択する自由はありませんでした。いえ、ウソです。少しありました。黒とピンクの2色から選ぶとか程度の選択肢は用意されていました。今、医療に対する不満のほとんどが、充分な選択肢がなく、黒かピンクか程度にしか選択肢がないことに対するいらだちが原因と考えます。患者はもっと多くの選択肢と情報、コストと質の高いバランスを欲しているのです。
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